日本の学校に通っていた人であれば、<学校>という言葉を聞いたとき、似通った学校のイメージを思い浮かべるでしょう。しかし私たちの実際の学校経験の中には、そういう集合的なイメージにまとめることができない、豊かで個性的な時間がいっぱいあったはずです。そういう体験が、集合的な<学校>というイメージのもと切り捨てられるのはもったいない。私たちは集合的な学校観の限界を意識し、自分たちの<いま・ここ>を基点に、豊かで個性的な時間を生きる場としての<学校>観を作ることが大切です。このことについて、以下では「放課後の学校クラブ」の具体的な活動に触れながら考えます。
10月8日最初の活動は、「学校にあるもの」を書き出すことから始めました。次に、部屋全体を使った大きな地図をつくります。とても大きいので、その地図の上を歩き、学校の活動をシミュレーションすることもできます。そうすると、これまで自分たちには見えていなかった「学校にあるもの」の存在も意識されるようになります。たとえば「駐車場」。これは学校に来る「おとな」の行動を意識した意見です。さらに「あってほしいもの」として「発電所」という意見も。これは、自分たちが使っている電気のもとを辿るとどこに行き着くのか…という問いから発せられたのかも知れません。
ここでは、「観察」(既に身に付けている学校観に依拠される)→「追体験」(身体性をともなう追体験)→気づき(この学校には○○が必要だ)→再構成(○○という理由で必要だからこのように現実にしよう)という段階を踏んでいます。こうしたプロセスを通じて、普段の<学校>での生活は少し相対化され、これまでとは違う学校観・生活観を手に入れることができるのではないでしょうか。
このような学校観の相対化は、「学校クラブだより」を読む地域の大人たちや、私たち「おとな部員」にも起こりうるべきことです。私たちも話し合いのたびに、「あの働きかけは自分の学校観の押し付けになっているのでは?」といった形で、常に自分たちの学校観自体を問うています。こうしておとなも子ども一緒にかかわりながら、協働的に新しい学校のイメージを手に入れていくことこそ、「放課後の学校クラブ」の醍醐味だといえるでしょう。(山崎)
放課後の学校クラブだより第二号より抜粋
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