2011年11月12日土曜日

自分たちの<いま・ここ>から学校をつくる

 日本の学校に通っていた人であれば、<学校>という言葉を聞いたとき、似通った学校のイメージを思い浮かべるでしょう。しかし私たちの実際の学校経験の中には、そういう集合的なイメージにまとめることができない、豊かで個性的な時間がいっぱいあったはずです。そういう体験が、集合的な<学校>というイメージのもと切り捨てられるのはもったいない。私たちは集合的な学校観の限界を意識し、自分たちの<いま・ここ>を基点に、豊かで個性的な時間を生きる場としての<学校>観を作ることが大切です。このことについて、以下では「放課後の学校クラブ」の具体的な活動に触れながら考えます。

 108日最初の活動は、「学校にあるもの」を書き出すことから始めました。次に、部屋全体を使った大きな地図をつくります。とても大きいので、その地図の上を歩き、学校の活動をシミュレーションすることもできます。そうすると、これまで自分たちには見えていなかった「学校にあるもの」の存在も意識されるようになります。たとえば「駐車場」。これは学校に来る「おとな」の行動を意識した意見です。さらに「あってほしいもの」として「発電所」という意見も。これは、自分たちが使っている電気のもとを辿るとどこに行き着くのか…という問いから発せられたのかも知れません。

 ここでは、「観察」(既に身に付けている学校観に依拠される)→「追体験」(身体性をともなう追体験)→気づき(この学校には○○が必要だ)→再構成(○○という理由で必要だからこのように現実にしよう)という段階を踏んでいます。こうしたプロセスを通じて、普段の<学校>での生活は少し相対化され、これまでとは違う学校観・生活観を手に入れることができるのではないでしょうか。

 このような学校観の相対化は、「学校クラブだより」を読む地域の大人たちや、私たち「おとな部員」にも起こりうるべきことです。私たちも話し合いのたびに、「あの働きかけは自分の学校観の押し付けになっているのでは?」といった形で、常に自分たちの学校観自体を問うています。こうしておとなも子ども一緒にかかわりながら、協働的に新しい学校のイメージを手に入れていくことこそ、「放課後の学校クラブ」の醍醐味だといえるでしょう。(山崎)

放課後の学校クラブだより第二号より抜粋

2011年11月6日日曜日

素材をあつめて










































前回の活動では「いつもの学校にどんな時間があるかノートに書いてくること」という宿題が出されていました。十月三十日は、ここで見つけられた時間から「放課後の学校」に使えそうなものを抽出していきました。各自が月曜日から金曜日までを担当し、学校で起こっていることを報告していきます。すると、授業だけではなく、朝の会や委員会などたくさんの「時間」が浮かび上がってきます。ここから自分たちに必要なものを取り出していくと、いつもの授業を発展させたものから、体育と算数を合わせた「たいすう」などオリジナルの教科まで飛び出してきました。

その他にも食べられる生き物を育てる「いきものがかり」、時代を反映した「節電委員」など様々な役割が必要だということが明らかにされていきました。こうやって見ていくと「係」と「委員会」の違いも何となく分かってきます。いつもの学校にちょっとした「疑問」を投げかけることから放課後の学校の素材が集められていくようです。116日にはこれらをもとに実際に学校の中身を考えました。

それぞれがやってみたいことを選んで「どんなことを」「誰が」「どこで」やるのかという計画を立てます。その結果、先生と生徒が使えなくなったものを持ち寄って音を考える「音をつくる授業」や常照寺池の魚をスケッチしたり飼育したり粘土で作ったりする「さかなのかんさつ」など放課後の学校が具体的な形を帯びてきました。大人部員からは給食の調理師さんと協力した「給食の授業」なども提案されていました。どうすればプランを実現できるのか。次回は妄想と現実の壁に直面するかもしれません。(市川)